寝れない獅子の寝れないblog

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あんまり今、復職したくない理由

今朝の診察で主治医から復職のゴーサインが出ました。

しかしながら私本人は複雑な気持ちです。

時期があまり良くない。

毎年三月ってのは精神的に不安定になりやすい時期なのです。

過去、三回入院していますが全部三月です。

今は本当にフラットな状態なのでこのまま三月をやり過ごして安定してくる四月から復職したいなって思っています。

四月から新年度開始ですしね。

次は上司とも面談ですのでこの旨、伝えたいと思います。

急に病名が変わる

統合失調症と言われ八年が過ぎようとしていた頃、主治医から「あなたは統合失調症と躁鬱が同居している」と言われました。
自分でも妙にハイになる時があるし、異様に落ち込む時があるのはわかっていました。
家族も変だなって思っていたらしいのです。
新たについた病名が「統合失調感情障害」。
抗精神薬にさらに躁鬱の薬も飲むことになりました。躁鬱の薬がラミクタールという薬です。
ラミクタールを飲み出してからハイになる事が殆ど無くなりました。
でも、、、八年間統合失調症って言われて急に統合失調感情障害って言われても八年間返してよって感じです。

続 この十年の話

地元に連れて帰られた自分は親が探してきたメンタルクリニックに通う事になりました。
自分に最初に出された抗精神薬はロナセンという薬でした。
飲みだしたら副作用で半分寝たきりになりました。頭の中を掻きむしられているような。
そんな地獄の最中に起きたのが東日本大震災でした。
ベッドの上で一年、二年と経ってだんだんロナセンにも慣れて就労支援B型作業所で働き出しました。モーターメーカーの下請け仕事でした。
困った事に失業保険の期間も過ぎてしまい、収入は作業所の工賃だけになってしまいました。
障害年金って年金があるけど障害者ってレッテルが貼られる…。
主治医に診断書を書いてもらい年金事務所へ。
障害二級の年金が通りました。
何年か作業所で働いて、県の非常勤職員をやったりバイクでメール便配ったり、老人ホームの庶務の仕事やったり。
あっという間に十年経ってしまいました。

祝 blog開設

こちら山陰地方のY市。 

カレンダー上でも春になりました。

今年37才になる♂の半生を書きます。

地元の三流公立大学を出て某乳業メーカーの広島にある中国地方事業本部の営業マンになりました。上司、先輩、同僚も皆さんいい方達ばかりでした。

入社して数年後、不眠に陥り何週間も布団を被っては魘されるという日々が続きました。

仕事にも暗い影が。

いい人達のはずだった上司、先輩、同僚が皆んなで自分を陥れようとしているという妄想に駆られるようになりました。

やがて不調は両親の知れる事となり、両親と広島市民病院というかなり大きな病院の精神外来を受診しました。

医師から言われた診断は。

統合失調症

もう半狂乱になっていた自分には訳がわからないまま仕事を辞して地元に連れて帰られる事になりました。

ちょうど10年前、東日本大震災の起きるほんの少し前の事。

つづく